8年。
東日本大震災から丸8年。
2011年3月は東京の大塚Deepaでライブの予定だった。地下の漫画喫茶にいた俺はモーニング娘。の映像を観ていた。そしたら急に大振動が。崩れる本棚、中にいる全員で脱出。
それから急いで大塚Deepaに移動。
ライブどころの騒ぎではないという事がだんだん分かる。Twitterを観る。ライブハウスが軒並み営業中止のお知らせ。ギリギリまで悩んだが、大塚Deepa、THE SNEEZE、HOT SONIC、Selfish(奈良)、ARNIEZの4マンは中止。とにかく街は大混乱。
大塚からTHE SNEEZEメンバー全員が住む葛飾区の家に戻ろうという事になる。キイチと秋葉原らへんで合流。大塚から約15kmの道のりを15時間かけて帰る事になる。
ラジオから流れる死亡者数、行方不明者数。どんどん増えていく。そして数分毎に鳴る地震警報。恐い、恐い。だけど一番怖かったのは現地の方々だよね。
途中コンビニに寄るも全然品物がない。なんとか水と気持ちばかりのお菓子を買う。
車は動かない。どうすりゃいいんだ。全く分からなかった。考えれば考えるほど胃が痛くなっていく。
というか、考えてもどうすれば良いのか本当に分からなかった。
本来なら、翌日3月12日は大阪の心斎橋KING COBRAでライブの予定だった。
しかし、高速道路もとてつもない渋滞に。
行く手段がなくなったのと、THE SNEEZEは母子家庭で育ったメンバーがほとんどだったのもあり、一度家に帰り家族の安否を確認したかったためキャンセルする事に。悔しかったな。
14日に兵庫の尼崎Deepa(現在は無くなっています)でライブだったためさらに翌日の13日に関西へ向かう。
俺は当時ブログやmixiなどにライブをやると決意を込めたコメントを寄せた。
そしたら批判が殺到。わざわざマイミクでもないのにメッセージを送ってきた人も。今でも憶えてる。きつい言葉の連続。
「不謹慎だ」「無駄な電力を消費するな」
その他諸々。
この時期に流行った「不謹慎」という言葉。
でも俺は不謹慎なんかより一番悲しかった言葉が
「音楽なんかで人を元気に出来るはずがない」
という言葉だった。
続けて「スバルさんのエゴだったり、元気にさせようとしてる俺カッコいいとか思ってないでしょうか」と言われた。
なるほど、こう思う人もいるのか。
俺はそれでも音楽を信じていた。根拠はないけど、今まで自分を救ってくれた音楽で、自分も救いたい。そう信じてやってきた部分もあったし、それでも無力だと言われた事が悔しくて、悲しかった。
もちろん応援してくれる人もたくさんいた。
スバルは歌えと。支えてくれと。
THE SNEEZEやってくれって。
俺たちが支えられる音楽をやっていたのか分からないけど俺は音を鳴らしたいと思った。
心斎橋KING COBRAのライブは出られなかったものの、14日の尼崎Deepaは2016年4月に解散した一番の後輩のバンド、ラバーズアンドガバーズ(当時メンバーにまた在住のメンバーがいた)と共にライブをしに行った。
俺たちTHE SNEEZEとラバーズアンドガバーズは、この日から3月11日周辺には毎年尼崎Deepaを訪れてライブをした。後半からは「20110311」とタイトルを銘打って。
きっと、忘れたくなかったんだと思う。
あの時歌を歌った気持ち、ライブをやった気持ち。
音楽を心から信じたいと、一点の照明のみで行ったライブ。何が不謹慎だ。言えば正義だとでも思ってるのか。
それからTHE SNEEZEは「葛飾大音楽祭」という、亀有駅前で無料フェスを地元の葛飾区とタッグを組んで2013〜2015年に開催した。
南三陸からの海産品、保育園の子達との演奏、
2013年にはTHE SNEEZEと葛飾区議会の方、葛飾区出身の安田学園の野球部のみんなと宮城県塩竈市の桂島の海岸の掃除をしに行った。当時浦戸諸島は全く手付かずの状態でした。
(塩竈市公式ホームページより抜粋)
海に流れるはずがないゴミ、粗大ゴミ、動物の骨、死骸。どう言葉で表せばいいか分からなかった。
本当に微力だったが、関わらせていただけた。
南三陸の防災対策庁舎にも行きました。
庁舎で最後の最後まで町全体に「高台に逃げて下さい!」というアナウンスをし続けた遠藤未希さんの話をはじめ、色々な話を伺いました。
次の日は南三陸町立 名足保育園へ。
葛飾大音楽祭の募金の収益で楽器を寄付しに。
その翌年、名足保育園のみんなと葛飾大音楽祭で"恋するフォーチュンクッキーを一緒に演奏したんだよね。みんな元気かな。会いたいな。
仮設住宅にも挨拶に伺わせていただいた。
あの時のおてんば娘、元気かな(笑)
それから陸前高田市に移動。
街のど真ん中に船がありました。第18共徳丸。
しばらく行けてないけど、どうなっているかな。
モニュメント化か、取り壊しか、現在も話し合っているそう。忘れたい気持ち、忘れないように残しておく気持ち。どちらも間違ってはいないと思う。
久しぶりに振り返ってつらつら書いたけど、
別に忘れないようにしていこうねとか、何か出来る事をしようねとか言いたいのではなく、
自分の目の前の大事なモノ、絶対に離さない、放さないようにしたいなと改めて思いました。
なるべく悲しい涙を流さない未来を、と願うがそんな上手い話もないさ。
とにかく毎日を愚直に、一生懸命生きていきたいな。
東日本大震災に悔しかった事、悔しがった事で温かみを感じた事、この時に抱いた感情を俺は一生忘れない。
何より、また今歌えている環境に感謝。
毎日を噛み締めて生きていくぞ。
また、東北にも行く。
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10年経ちました今でもこの想いは変わりません。
音楽で救われた、バンドに救われた、アイドルに救われた、「人」に救われた。
これからも絶対に忘れずに。